彼が見せるのは、いつも後姿。
彼女が声をかけることで、初めて見せるその笑顔。
でも本当は…正面からその笑顔を見たい。それが、彼女の望みだった。


Flower and Your Smile


「婁宿!」
小さな丘の上の、小さな花畑。
鈴乃はその前に座っている婁宿の背中に向かって声をかけた。
「…鈴乃。どうしたの?」
その声に、ようやく婁宿は振り返る。その優しい笑顔で。
「どうしたの、って…もう、やっぱりここだったのね?昴宿が、そろそろごはんにしようって言ってたから探しに来たのよ?」
「ごめんごめん。ほら鈴乃。今日もまた一つ花が咲いたんだ」
婁宿が指をさすその先には、綺麗な紅色の花が数輪咲いていた。
うち一つはまだ八分から九分咲きといったところ。
ニコニコとしながら話しかける婁宿を見て、鈴乃はこっそりとため息をついた。
「僕、もう少しこの花の手入れをしてから行くよ。鈴乃は先に戻って。先に食事始めていいからね。奎宿と昴宿にも伝えてくれるかい?」

…今日も、そう。いつだって、そう。
彼はこの丘が好き。この丘に咲く花々が好き。
いつもこの時間、この場所に来ては花々にその愛情を注ぐ。
だからこの丘の花はとても美しくて…心安らぐ。
まるで…そう。婁宿、あなたのように。
そんなあなたが、いつしか好きだった。でも…


「しっかし、よくまあ飽きねえよなあ〜。一日中花と睨めっこなんてよ」
婁宿のいない食事の席で、奎宿がこんなことを言った。
「だってよ。花はしゃべらねえんだぜ?口説いたり抱きしめたり口付けしたりもできねえんだぜ??あーあー、オレには考えられねえ」
「あんたのことは誰も言ってないんだよ、このエロバカ単細胞!」
「ああ!?んだとこの!」
そんな奎宿の話を一言で流すと、昴宿も半分呆れ顔で呟く。
「まあ、あれはあれで婁宿のいいとこ、なんだけどねえ…」
そう言って、昴宿はちらりと鈴乃を見た。
まるで心を見透かされているようで、鈴乃は思わずうつむく。

そう、それがあなたのいいところ。私の、すごく好きなところ…でも。

「はあ〜、つまんねえ男だよなあ。恋愛だとか女だとか、アイツの辞書にあるのかねえ?」
「あんたはそれしかないだろ!」

『恋愛』とか、『女』とか。
そうよね、婁宿。あなたにとって私はきっと…『女』ではなく『白虎の巫女』に過ぎないのよね。

「それにしても遅いねえ、婁宿。ねえ鈴乃。もう一回声かけてきてくれない?」
そんなことをぼんやりと考える鈴乃に、昴宿が言った。悪戯っぽい笑みを浮かべながら。
やはり心中を見抜かれているかのよう。女の直感は、鋭い。


もう一度さっきの場所に戻ると…やはり、婁宿はいた。彼の背中が見えた。
今度は声をかけないで、静かに近づいてみる。ゆっくり、ゆっくり。
願わくば…私があなたの名を呼ぶ前に気づいて欲しい。あなたから振り向いて、私の名前を呼んで欲しい。そう思って。
しかし鈴乃がすぐ後ろまで近づいても、婁宿は振り返らなかった。
ただいとおしそうに、まだつぼみの花たちに自分の気を送っていて。
それはきっと、明日それらが綺麗な花を咲かせるための、エール。

「…婁宿…」
耐えられなくて。結局鈴乃の方から名を呼んだ。するとゆっくり、彼が振り返って。
「ああ、ごめん鈴乃!戻ろうか」
とびきりの笑顔。だけど何だか、胸が痛かった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

翌日、珍しく外は曇り空だった。少しずつ風も強まっているようだ。
「もしかしたら、嵐になるかもしれねえぞ」
外を見ながら奎宿が言った。
「今日のところは、下手に外にでない方がいいかもしれねえな」
「そうね…」
窓辺にぼんやり座り外を見やる奎宿に、隣に腰掛けていた鈴乃も応じる。
するとそこに、パタパタと足音を立てて昴宿が駆けて来た。
「…あ、ねえねえ奎宿、鈴乃!ちょっと来てくれないかい!?」
「昴宿?どうしたの?」
やけに切迫感のある声に鈴乃が首を傾げると、昴宿はさらにこう続けた。
「婁宿がさ、熱あるみたいなんだよ。ねえ奎宿、確か熱さましの薬草どっかにあったよね?鈴乃、あたし水汲んでくるから、あんた婁宿の傍にいてやって!」
「婁宿が……?」

鈴乃が部屋に入ると、その寝台の上には婁宿が横たわっていた。
だが少し頬が紅潮しているくらいで、思ったほど具合悪そうではなかった。
「ごめん、鈴乃。昴宿が大げさにしてしまったみたいだね」
「ううん。婁宿、この所あまり休んでいなかったし、疲れたんでしょう?」
申し訳なさそうな顔をする婁宿に、優しく声をかける。
ここ数日、彼は七星士探しに加えて、休みなくあの花の世話をしていたから…それを知っているから。
「私達のことは気にしないで、婁宿はゆっくり休んでて」
「すまない…。そういえば鈴乃、外の天気はどうなってるだろうか」
「え?」
急に天気の話になって、鈴乃はきょとんとした。
だが、さっき奎宿が言っていた通りのことを言おうとした時。
「曇っているみたいだけど…天気がもし荒れるようだったら、あの丘の花…昨日つぼみだったものが花を咲かせられなくなってしまうから」
「……っ!」

この瞬間、鈴乃は言葉を呑んだ。
この人は…自分が体調を崩している時だというのに、そんな時にも愛する花々のことを気にかけるのか。

「…大丈夫よ、婁宿!」
だから思わず、とっさの嘘が口をついた。
「少し曇っているけど、この程度ならそれほど天気は荒れないだろうって…さっき奎宿が言ってたわ。だからゆっくり休んで。ね?」
その言葉に、婁宿は安心したかのように微笑み、目を閉じた。
しばらく見守っているうちに、やがて安らかな寝息が聞こえてきた。


「鈴乃!?ちょっとあんた、どこに行くの!?」
「昴宿…うん、ちょっとすぐそこまでね。すぐ戻るから心配しないで!」
その数刻後、鈴乃は外に飛び出していた。向かう先は、あの丘だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

体を通してわかる。風が次第に強まっていることが。
そしてやがて、鈴乃の顔に雫があたる。

『あの丘の花…昨日つぼみだったものが花を咲かせられなくなってしまうから』

もしもあの花達が、つぼみを開くことなく駄目になってしまったら…きっと、あの人は悲しむから。
例え彼の心の中に、私という存在がいないとしても。それでも私は、彼に悲しんで欲しくないから。

丘の花畑に着いた時には、既に風も強く、大粒の雨が花々に打ちつけられていた。
その風と雨の勢いで、紅色の花は横倒れになっている。
「どうしよう…」
ここまで来たけれど、鈴乃にはこの花々を助ける手段など持ち合わせていなかった。
でも、このままこの雨風にさらすわけには…
「とにかく、せめて雨風の勢いから守ることができれば…」
そう思い、風上に立った。花々の壁になるように、しゃがむ。

こんなことくらいで、守れないかもしれないけれど…でも…


「……鈴乃!!」

その時、背後から声がした。ゆっくりと、振り返る。
そこに立っていたのは…微笑を浮かべた、黒髪の美しい青年だった。
「婁…宿…!?」
「昴宿から聞いたんだよ。君が急に外に出て行ったっていうから」

初めてだった。この丘で、彼から自分の名を呼ばれるのは。
彼の笑顔を、真正面から見たのは…

婁宿は鈴乃の傍らまで近づくと、紅色の花々に向かって手をかざした。
すると花の周りをやわらかな光が包み、それらを痛めつける雨と風を防いだ。
「これで大丈夫。鈴乃、ごめん…君にこんなことをさせてしまって」
「いいの!だって私は…」

『私ハ、アナタガ、好キダカラ…』

「……私も…この花が好きだから」

思わず出た言葉。でも、決して嘘じゃない。
あなたが愛するこの花々、いつしか私も同じくらいに愛していたの。

「鈴乃……」
婁宿は…本当にうれしそうな顔で、笑った。
そしてほんの一瞬だけ、鈴乃をその胸に抱き寄せた。
「…っ!」
温かい腕の中。熱があるせいもあるだろうけど、それだけではない…優しい温かさ。
婁宿のように風邪を引いているわけじゃないのに、鈴乃もなぜだか体温が上昇するような気がした。
「とにかく、早く戻ろうか。鈴乃まで風邪を引いては大変だからね」

強い雨と風の中だけど、彼の言葉はまるで暖かな毛布のようだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

嵐は、一日で過ぎ去った。
朝日が昇ると、鈴乃は真っ先にあの丘に向かった。あの紅色の花々のことが気がかりで。

…だが、その心配は必要なかった。

「うわあ…!」
見た瞬間、思わず感嘆の声を上げた。
美しい紅色の花弁を広げた花は、これまでで一番の数だった。
「よかったあ〜…」
顔が自然とほころぶ。その場にしゃがんで花をじっと見つめて…

「…鈴乃!」
すると、後ろから声がする。自分の一番好きな声が。
「やっぱり、ここにいたんだね」
振り返れば、自分の一番好きな笑顔が正面にあった。
ゆっくりと近づいてきた彼は、鈴乃の隣に座ると優しく言葉を続けた。
「綺麗な花が咲いたね…」
「…ええ。とっても綺麗な花が…」

目の前の綺麗な花々。隣で笑う、大好きな笑顔。

そうね…婁宿。私、どうして気づかなかったのかしら。
振り返った笑顔でも、正面からの笑顔でも、そして隣で見せる笑顔でも。
どんな笑顔でも…あなたのその笑顔が、私は好きなのだということを。

「鈴乃も、笑っているね」
「え?」
「鈴乃の笑顔、見られてよかった。僕は、君の笑顔が好きだから」
「…え?」
そんな婁宿の台詞に、鈴乃はきょとんとしてしまう。
だが婁宿はその続きを言うこともなく…その目を花々に移してしまった。


彼女が彼の笑顔を求めるように、彼も彼女の笑顔を求めている。
彼女が彼を愛するように、彼も彼女を愛している。
そのことを互いに気づくのは…もう少し、先のこと。


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『君に贈る言葉』同様、本館サイトの初期作品リメイク版です。
婁宿&鈴乃カップルは、鬼&美や女&多のような賑やかさがない分、恋愛の進展が緩やかそう…に見せかけて、両思いになるのは意外に早い気がします。
婁宿が結構情熱的な人だと思うので、きっと鈴乃が彼を意識し出したあたりに、さらりと婁宿が「君のことが好きだよ」なんて言いそうです。
少なくとも、奎宿&昴宿よりはとっとと両思いになるでしょうね(笑)


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